猫おば便り

生き物たちのこと、特に猫(猫おばだからね)についてのお便り書きます。

たくさんのお別れ

 

 あまり自分を客観的には見られませんが、たぶん、しばらく、「らしくない」感じでした。小さな棘が刺さって取れないとはこういうことかと。人にも会いたくないし、これじゃいかんと会ってバカ話をしゃべりまくってもスッキリしないし、

もう、あがかないことにしました。ため息は大きな深呼吸。

 少しずつ、行動開始。

 

 10年ほど前に沖縄で日本で最初の保護猫カフェを開いた友だちと仙台動物管理センターに行きました。その時2匹の猫が収容されていて、1匹ずつ引き取りました。1匹は猫おばのおばの家にいき、数年前に腎臓病で旅立ちました。

 もう1匹は友だちの家族のもとで暮らしていました。慢性の口内炎で、お母さんが缶詰めを指でさらに細かくし、小さな骨もないようにと手をかけていました。お店に行けば、ぼよが外に出たら危険だからと自動ドアが止められていて、入れなかったこともありました。お姉ちゃんは毎週ぼよに会いに帰省していて、家族にとってなくてはならない存在だったぼよ。26日にお姉ちゃんの腕の中で旅立ちました。

 にき先生のブログがタイムリーな記事で、お姉ちゃん読んでとラインして、お姉ちゃんと涙。

 

 昔若かりし猫おばがまだ一人で手探りで、猫を保護したり里親さんを探したりしていた頃に譲渡した猫がいました。すでにお口が臭くてそこそこの年だったと思います。譲渡会に子供たち3人とお母さんがきて、子猫たちがたくさん参加していたのだけれど、猫おばが連れて言ったくたびれた感じの猫を選んでくれた。子供たちはかわいいかわいいと言ってくれて、お母さんは、大人の猫は貰い手がなかなか見つからないから大人の猫にしようと言ってぶぅさんを選んでくれた。ぶぅさん、31日にお母さんに見守られながら、眠るように旅立ちました。震災の時はお父さんが暮らす大阪までみんなで避難して、もちろんぶぅさんも一緒に。あとからくぅちゃんも貰ってもらい、2匹の暮らしが始まりました。吹き抜けから落ちて夜間救急に運ばれたこともあった。一時危篤を乗り越えて、そこから2年生きた、奇跡の猫ぶぅさん。猫おば家にいたときは玄関まで追いかけてきて行かないでとすがるコで、毎日仕事に行くのが辛かった。いつもそばにいてくれるいい人を見つけてあげるからね、というぶぅさんとの約束は守れたね。

 

 28日の夜、オッポチャドが轢かれた場所でまた1匹。もう硬くなっていました。死ぬときくらい、そばにいてあげれれば良かったのに、冷たくなる前に見つけてあげられなくてごめんね。

 

 精神修行のような月でした。

 

 これから犬も猫も人間も、どれだけ看取るのかと思うと末恐ろしい。でも、看取ることができるということは幸せだね。猫おば、長生きしなくちゃだ。

 

 

 

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ヨッツ

 

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ミッツ

 

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ウーフーにタッチ!

 

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ドラちゃん

 

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コム

 

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食事マナー悪し

 

年賀状、途中で書くのを諦めた・・・

手のケガを言い訳に・・・

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家族全員集合。

 

 

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うちの裏。異常に多い!なんじゃこりゃー

 

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 一気に飛んだ!なんじゃこりゃー